DVD 中村日出夫 拳道伝説
商品名:DVD 中村日出夫 拳道伝説
vv-859
中村日出夫 拳道伝説
収録時間:2枚組66分+特典56分
価格 ¥8,640(本体価格¥8,000)
音声:STEREO
リージョン:ALL
ディスク種類:片面1層
【内容】
秘蔵映像発掘!
拳道会総師中村日出夫。その名は、日本空手界に燦然と輝く星であり、流派を超え、あらゆる空手家から尊崇の念を持って語られる稀有の存在である。
その生涯を拳道追求一筋に生き、齢を重ねてなお、たゆまぬ鍛錬によって驚異的な演武を披露して見せた。
これは、中村日出夫が遺した貴重な演武の映像を中心に、秘蔵写真、弟子たちの語る師の素顔などで構成された一代記である。伝説の超人中村日出夫。そのすべてがここに。
【収録内容】
稽古指導 1983年7月
門下生指導 1982年4月
大阪大演武会 1987年6月
神戸大演武会 1990年5月
第10回全国大会 1996年12月
自宅での自主稽古 1983年頃
米寿記念京都大演武会 2001年6月
東京大演武会 1988年7月
卒寿記念式典 2003年6月
石山圭会長インタビュー
前田武夫師範インタビュー
[特典Disc]
師範審査会指導
1999年5月9日 千葉県松戸市・拳心館
【出演】
中村日出夫(なかむらひでお)
1913年6月16日、平壌市出身。9歳の時から叔父より十八卦と呼ばれる武術と借力を学ぶ。
1926年、平安中学校入学のため京都に移住、空手を始める。1930年、高等進学と同時に武道専門学校に入学。
1933年、京都大学法学部に入学。同年、武道専門学校空手道指導員となる。
1943年、大日本武徳会より、六段錬士を授与。
1947年、山梨県甲府市に移住し空手の指導を始める。
1957年、空手道場・修得館を設立。空手道普及に努めるとともに「空手は空手であり、流派などはいらない」との信念の下、空手の全国的連合組織を作るために尽力した。
1957年、山梨県空手道連盟を結成し、5月5日、大山倍達、金城裕、藤本貞治らを招いて「県下合同第一回空手演武大会」を開催。
翌年にも第二回大会を開催し、金城師、藤本師に加え、山口剛玄、中山正敏、金澤弘和ら、後の日本空手界を代表する諸士を集める。
そこで披露した垂木割り、36枚の瓦割りは、後々まで語り継がれる伝説となった。
1968年、活動の拠点を東京に移す。「空手の本質を拳に求め、拳の道を全うする」として自らの空手を「拳道」と名付け、さらなる普及に励んだ。
1983年6月16日、70歳の誕生日に空手道拳道会を設立し、初代会長に就任。
1987年、大阪府立体育会館において第一回拳道会大演武会を開催。初めて公にされた中村日出夫の空手は大反響を呼んだ。
翌1988年7月3日、東京代々木体育館において再び大演武会を開催。75歳にして衰えを見せず、平然と垂木を割る姿を披露した。
1997年、会長職を石山圭現会長に委ね、拳道会総師に就任。以降も、後進の指導を続けた。
2007年、滋賀県に居を移す。
2013年1月8日、肺炎のため逝去。享年99歳。
中村日出夫 拳道伝説
収録時間:2枚組66分+特典56分
価格 ¥8,640(本体価格¥8,000)
音声:STEREO
リージョン:ALL
ディスク種類:片面1層
【内容】
秘蔵映像発掘!
拳道会総師中村日出夫。その名は、日本空手界に燦然と輝く星であり、流派を超え、あらゆる空手家から尊崇の念を持って語られる稀有の存在である。
その生涯を拳道追求一筋に生き、齢を重ねてなお、たゆまぬ鍛錬によって驚異的な演武を披露して見せた。
これは、中村日出夫が遺した貴重な演武の映像を中心に、秘蔵写真、弟子たちの語る師の素顔などで構成された一代記である。伝説の超人中村日出夫。そのすべてがここに。
【収録内容】
稽古指導 1983年7月
門下生指導 1982年4月
大阪大演武会 1987年6月
神戸大演武会 1990年5月
第10回全国大会 1996年12月
自宅での自主稽古 1983年頃
米寿記念京都大演武会 2001年6月
東京大演武会 1988年7月
卒寿記念式典 2003年6月
石山圭会長インタビュー
前田武夫師範インタビュー
[特典Disc]
師範審査会指導
1999年5月9日 千葉県松戸市・拳心館
【出演】
中村日出夫(なかむらひでお)
1913年6月16日、平壌市出身。9歳の時から叔父より十八卦と呼ばれる武術と借力を学ぶ。
1926年、平安中学校入学のため京都に移住、空手を始める。1930年、高等進学と同時に武道専門学校に入学。
1933年、京都大学法学部に入学。同年、武道専門学校空手道指導員となる。
1943年、大日本武徳会より、六段錬士を授与。
1947年、山梨県甲府市に移住し空手の指導を始める。
1957年、空手道場・修得館を設立。空手道普及に努めるとともに「空手は空手であり、流派などはいらない」との信念の下、空手の全国的連合組織を作るために尽力した。
1957年、山梨県空手道連盟を結成し、5月5日、大山倍達、金城裕、藤本貞治らを招いて「県下合同第一回空手演武大会」を開催。
翌年にも第二回大会を開催し、金城師、藤本師に加え、山口剛玄、中山正敏、金澤弘和ら、後の日本空手界を代表する諸士を集める。
そこで披露した垂木割り、36枚の瓦割りは、後々まで語り継がれる伝説となった。
1968年、活動の拠点を東京に移す。「空手の本質を拳に求め、拳の道を全うする」として自らの空手を「拳道」と名付け、さらなる普及に励んだ。
1983年6月16日、70歳の誕生日に空手道拳道会を設立し、初代会長に就任。
1987年、大阪府立体育会館において第一回拳道会大演武会を開催。初めて公にされた中村日出夫の空手は大反響を呼んだ。
翌1988年7月3日、東京代々木体育館において再び大演武会を開催。75歳にして衰えを見せず、平然と垂木を割る姿を披露した。
1997年、会長職を石山圭現会長に委ね、拳道会総師に就任。以降も、後進の指導を続けた。
2007年、滋賀県に居を移す。
2013年1月8日、肺炎のため逝去。享年99歳。